やる気を必要とする際の道具(原動力)が詰まったブログ

前回はいつ更新したのかすら覚えていない。
この1〜2ヶ月の猛暑が、僕の苦しさを代弁してくれていたのではないか。
今日、力を出し切ったと思ったら、明日は、今日以上の力を求められる。
そんな連続。まあ、そのことは整理して、後日じっくり書こうと思う。
とにかく、僕が今年やろうとしてきたことは、明日、小さいけど一つのカタチになる。
僕を仲間と呼んでくれる人たちの協力で、ここまでやってこれた。
明日の15:20、こちらをご覧ください。
http://www.ustream.tv/channel/shukatsu-witter?lang=ja_JP
さて、明日も頑張ろう。
小林もとき
(本日のつぶやき byTwitter)+++++++++++++++++++++
「明日から」を7回言うと1週間になる。
「来週から」を4回言うと1ヵ月になる。
「来月から」を12回言うと1年になる。
そして「来年から」を何十回か言うと、僕たちは灰になる。
一番大切なことをする日は、今日しかない。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

行動力、カリスマ性、きちがい、相手のことを想える人…。
そんな言葉が飛び交う場に、一昨日の僕はいた。
ツイッターで知り合った学生(女性)に、
7月17日の土曜日にイベントをやるのでよかったら来てください。
そう誘われたのは、イベントの3日くらい前。
交流会という名目で誘われたので、特に心の準備をしていかなかったのだが、
集合時間の数時間前に「本日のテーマは次世代のリーダー」というメールを受信。
何やらグループワークを行うらしい。
予想外の予告に少し顔をひきつらせながら会場へ。
さらに、表情を硬直させたのは見渡す限り学生で、社会人なんていない。
思わず「社会人なんだけど大丈夫?」と受付に聞いてしまったほどだ。
ただ、その直後に、僕を誘ってくれた学生に会い、
念を押すように「社会人、本当にいいの?」と聞く。
受付に続き、彼女もまた大丈夫だと言うだが、不安は消えない。
「あの人、空気読めないんじゃないの」みたいに思われるのが怖く、
忍者のように気配を消して入り込むのだが、そんな不安を吹き飛ばしてくれるように、
「小林さん!来てたんですね!」と声をかけてくれた学生(男性)がいた。
彼はまたまったく違うところで面識のある学生、
本当に気の利く学生で「小林さん、こっちですよ」と、しっかりナビゲートしてくれる。
僕は彼のおかげで、無事に自分の居場所を確保することができた。
さて、そうして僕の座った席は、
グループワークが行えるよう8人1グループのテーブル席。
「社会人ですが、よろしく」
とりあえず、不安を取り除くためにも、自ら声を発してみた。
すると、「社会人の方に来ていただいて嬉しいです。よろしくお願いします」と
みんな笑顔で迎え入れてくれたので一安心。
そしてグループワークが始まった。
「次世代のリーダーとは」というテーマで、話し合う。
話し合うといっても、堅苦しい会議や、相手を論破するディベートと違って
ワールドカフェ方式なる形式で、20分ごとにグループをシャッフルする点、
さらに相手の話をプラスに捉えて話を進めるといった点が面白い。
最終的には、1回、2回、3回とグループを変えて話し合い、
僕は24〜25人くらいの学生と一緒にワークをしたことになるのだが、
静かな時間がないくらいそれぞれが意見をしっかり口にする話し合いの場になり、
年齢が僕と約1まわりも違う学生たちの考えに感心、感心の連続だった。
それもそのはず。
グループワーク内での会話や、交流会、希望制による全員の前での自己紹介を
聞いて驚いたのは、参加者全員が何かに猛烈に打ち込んでいる学生なのだ。
自分は今、こう思うから、こんなことをしていて、今後はこれをもっとこうしていきたい。
そういった、夢や目標や、それに向けて必要なものを、この場にいる全員が語れる。
既にカタチになっている人や、これからカタチにしていこうとしている人など、
その進捗の差はあれど、意識が高く、意志が強い。
だから、グループワークでも自分の考えを自信たっぷりにはっきりと言える。
ここで、意見が言えなければ、今自分が考えていることだって、カタチどころか、
言葉にさえできないで終わることにもなりかねない。
僕が学生の頃なんて、こんなこと思ってもみなかった。
その分、今こうして苦労を乗り越えるときに来ているのだと思う。
最後に、学生たちの話を聞いていて思ったのは、どの学生も
「社会を良くしていきたい」、「そういう活動を通し自分も良くなっていきたい」
という気持ちが人一倍強いってこと。
そして、そういう想いを持った者同士が共感し、応援や協力をしながら、
自分だけじゃできないことを実現していこうと、みんな本気で考えている。
今回のイベントで本当にいろんなことを、感じることができた。
社会に出ると、「自分だけよければいい」と自分のことを最優先に考える人や、
「これくらいでいいだろう」と最低限の努力で終わってしまっている人がいるが、
それではいずれ、何かしらの限界がくる。
だが、何かを「よくしていきたい」と思える人は、
同じように強い想いを持った人を集められるし、大きな推進力を手にできる。
推進力が大きくなればなるほど、限界は遠ざかっていく。
これをヒントに、僕もこれから動いてみよう。
小林もとき
(本日のつぶやき byTwitter)+++++++++++++++++++++
口は、人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう。
目は、人の良いところをみるために使おう。
手足は、人を助けるために使おう。
心は、人の痛みが分かるように使おう。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


日曜日、伯父が亡くなったと連絡があった。
この伯父は、以前ブログで紹介した母方の叔父ではなく、
僕の父の姉の旦那さんにあたる伯父になる。
今回の件、「いつかは」とは思っていたが、このタイミングとは誰も想像していなかった。
というのも、話の発端は7〜8年前に遡る。
当時の伯父は健康診断の際、肺に影があると指摘され、後日精密検査を受診。
驚いたことに、診断結果は「肺がんの末期」。さらに「長くても1年」とまで言われた。
どうやら運の悪いことに、心臓の裏で進行していたため、レントゲンに写ったのが
心臓以上の大きさに肥大化したからだというのだ。
ショックを隠せない親族は悲しみを隠せない。これは誰だって当然のこと。
だが、伯父だけは違った。自分がそういう状態になりながらも見つけ出した答え、
それは、「周囲のために頑張って1日でも長く生きる」ということだった。
自分が周囲を悲します原因になっている。
逆に考えれば、周囲を喜ばす原因にだってなれる。
あの伯父だから、きっとそう考えたのだと思う。
〜あの伯父〜
僕の父は3人兄弟の末っ子で、兄と姉がいる。
実は小林家、祖父の代から自営業を営んでおり、店舗兼自宅のようなところに住んでいた。
だから、この3兄弟は家も目と鼻の先。小学校に上がる前の僕でも一人で行き来ができた。
僕は父の兄の家にもよく行ったし、同じくらい父の姉の家にも行った。
面白いことに、父の兄、父の姉、そして父、それぞれ2人の子供がいるのだが、男は僕だけ。
6人の子供がいるのに、男が1人だけということもあって、むしろ「遊びに来い、泊まりに来い」
とよく言われて、どこの家に行ってもわが子のような扱いをされていた。
このようによく遊びに行ったり、泊まりに行っていたことが
僕が伯父(父の姉の旦那さん)のことをよく知る背景にある。
この伯父に対して、面と向かって行ったことはないが、僕は伯父に憧れていた。
その理由は5つある。
まず1つ目。【スーツを着ていること】
冒頭にも書いた通り、僕の家系は祖父の代から商店街の一角を占める商店で、
小林家の親戚全員が商人(自営業)なのである。
僕の父も母も四六時中、目で見えるところで働いている(これはこれでいいことだが)。
当然、スーツなんて着ない。同じように幼馴染の親も商人ばかりで、僕の身の回りには
スーツを着た人はどこを見回しても伯父しかいなかった。
電車に乗って仕事に行く、スーツを着て働く。それはテレビの中の世界だと思っていた。
そんな、とても遠い世界と自分の世界をつなげている伯父は特別な人だったのである。
2つ目。【技術に明るいこと】
伯父は、大学(理系学部)を卒業し、環境系のエンジニアリング会社に勤めていた。
今でこそ当たり前の大卒っていうのが、当時は珍しかったし、しかも技術系。
部屋に行くとパソコン(WindowsなんてOSのない)があって、
当時ブラウン管といえばテレビしか知らなかった僕には衝撃的だった。
時々、それでインベーダーゲームをさせてもらい、保育園で自慢したことがある。
でも、保育園の友達はパソコン自体を知らない。
そんな伝わらないもどかしさ、今でも鮮明に覚えている。
さらに、僕のおもちゃが壊れたときも、目の前で分解して、どこが故障しているのかから
教えてくれ、しっかり直してくれた。壊れるってことは、それだけ使っているお気に入り
のおもちゃであって、それを直してくれる伯父はまさに神のような存在だった。
3つ目。【マメなこと】
休日といえば日曜日しかなかった時代がありました。土曜日は学校も会社もあった。
だから、身体は疲れているはずなのに、日曜日の伯父はぐうたらせず、朝から庭弄り。
伯父の家の庭には、多くの草木が生えていて、その手入れを全て自分でしている。
しかも研究熱心。例えば、つつじの花。自分の家よりも多く花を咲かせているつつじを
見つけたら、どうやればこれほどの花を咲かせるのか、持ち主に聞いて回る。
そして、それをその日から実践する。
平日も休日も、朝から晩まで。仕事であろうが趣味であろうが、目の前にある
ことに一生懸命な人でした。しかも、本当に楽しそうな顔をしている。
僕も子供の頃は疲れ知らずだったが、この歳になって、伯父のしていたことを
振り返ると、改めて「すごいなあ」って思う。
4つ目。【笑顔で感謝の気持ちを表わすこと】
「ありがとう」と「どういたしまして」。伯父を表わす言葉の中で真っ先に思い出す。
伯父は僕のような子供が話す他愛もないことにも、しっかり耳を傾けて、
それが質問であれば、真剣に答えを探してくれた。
そして、僕が「ありがとう」と言うと、笑顔で「どういたしまして」と言ってくれる。
時には伯父から「ありがとう」と言われる。それは、伯父にとって子供の考えを知れた
お礼だと言うのだ。だから、それがより一層、子供が話したくなるサイクルになっていく。
もちろん、これは子供に対してだけでなく、誰に対しても同じで、
大人同士のやり取りの中でも、人一倍「ありがとう」って言っていたという記憶がある。
「ありがとう」ってその場にいる人が、幸せになる言葉だな、って感じたのを思い出す。
5つ目。【奥さんを大切にしていること】
これは、今でも塗り替えられることのない記録というか、記憶というか…。
携帯なんてない頃、会社を出るときに電話を入れる、ご飯をおいしそうに食べる、
楽しく会話をする、伯母の頼みにすぐに取り掛かる(あれ直してなど)。
何の変哲もないように見えるけど、これを毎日できるってすごいことで、
要するに、「この時間が、この空間がいちばん楽しいんだ」ってことを
言葉じゃなく、自然と行動や動作で示している。
この時間をつくるために、大変な仕事をしてきて、
待ち遠しかったこの時間を、本当に嬉しそうに過ごす。
伯母はすぐに表情や言葉に、思っていることを出す人なので、
本当に幸せだってことが子供にだってわかる。
これが理想の夫婦なんだなって子供ながらに思っていました。
そう、こうして書き出しただけでも、
伯父は周囲を幸せにできる力を持っていたのだと思う。
それに、そうしないと自分が幸せでいれない、ってことも自覚していたのだと。
だから、今回の病気の件も、自分が周囲の悲しみの原因になっているのが、
納得いかないというか、本当に嫌だったのでしょう。
伯父は、自身の状態を知ったあと、当然大きなショックを受けながらも、
「周囲を明るくすることができるのは自分しかいない」って気持ちを切り替えたのだと思う。
それ以来、抗癌剤で治療しながら、医者だけの治療に頼らず、
「あの温泉が癌に効く」、「あの食べ物が癌に効く」と噂を聞けば、旅行ついでに出かける。
とにかく、全国各地を旅行していたと聞きます。
すると、もう自分が癌であることを忘れたかのように、元気になっていきました。
定期的な治療を病院で受けながら、あとは夫婦で旅行に行き、思い出をつくる。
そうしている間に、7〜8年が過ぎていったのです。
「長くても1年」と言われてから、その何倍も生きた。
そして、その間に、平均(もちろん数値にできるものではありませんが)の
何十倍・何百倍もの幸せを周囲に与えたに違いありません。
人というか、伯父のすごさを改めて感じる機会が、
こういう場面になってからってことが、恥ずかしく思う。
いつも、周囲の「すごさ」に目を向けながら、
自分に取り込める人間になりたいと思った、
あまりにも大きな出来事でした。
伯父、岩崎利治さんのご冥福をお祈りします。
小林もとき
(本日のつぶやき)+++++++++++++++++++++++++++++
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



